少女漫画の王道。学校中が憧れる人との恋、登校中道でぶつかり一目惚れ。普段普通に見える子が笑うと思いがけずかわいく見えてしまったり、片思いの相手がペンを拾ってくれたり、大好きな人と隣りの席になれたり。残念ながらそのどれも日常的に転がっているものではない。・・・はずだった。







「どうしよう」


未だにがやがやと騒がしい教室内をぐるりと見回してから、わたしは一人ポツリと呟いた。「なにがだ?」なぜかまだ隣りに立ったままのデイダラがその声を勝手に拾う。わたしは頭一つ分大きいデイダラを見上げてから「どうしよう」もう一度呟いた。口が腐ってもデイダラになんて言えない。”特等席”に行くことがこんなに楽しみなのは初めてだなんて。そんな素振りを見せたら、デイダラはあっという間にわたしの気持ちに気がついて、そうしてとことんからかい倒すのだろう。「どうしよう」本日三度目になるセリフを呟いてから、”18”と几帳面な字で書かれた小さな紙を見下ろした。


「だからなんだっつうの。そんなに”特等席”が嫌ならオイラが変わってやろうか?うん?」
「え、」
「うっそー」
「・・・デイダラ、おこるよ」


うっそーってなんだ、うっそーって。そんなキャラじゃないはずなのに、どうやら一番後ろの席を勝ち取ったことがよほど嬉しかったらしいデイダラはいつもより上機嫌だ。わたしと一緒に遅刻をしてきたはずなのに、いわゆる残り物にはなんたらかんたらをデイダラは実現したらしい。それを言ってしまえば、わたしはそんなデイダラよりも更に上機嫌だ。今日は遅刻をした人に神様が微笑んでくれる日なのかもしれない。
何せサソリくんの、いつも緊張しすぎて全くというほど会話が成立しないあのサソリくんの隣の席に、なれたんだから!


「怒るよっつった割には、、何か嫌そうな顔したよな。うん」
「え?」
「オイラが変わってやろうかって言ったとき」
「・・・ま、まさか!だって近くに友達もいないし、変わりに先生は近いしで寝れないし・・・」
「ふうん。・・・ま、そりゃ大事だな」
「でしょ?」


デイダラは一度大きく頷く。デイダラはどちらかといえば一人で遊んでいるイメージがあったので、こんなところで同意してもらえるとは思わず驚いてしまった。


席かえるぞーと誰かが言って、わたしたちはバラバラと自分の机を運びに動く。こんな日に限って引き出しの中にはほとんど全教科の教科書が詰め込んであったりして、わたしはうんうん唸りながら机を運んでいった。窓際の一番後ろの席から特等席までは果てしなく遠い。見かねた角都くんに手伝ってもらって(後で何か請求されるんじゃないかとビクビクしたのは内緒だ)机を運び終えると、既にサソリくんは右隣に陣地を構えていた。


「あ、サソ」


声を掛けようとして、やめる。上機嫌なわたしとは正反対に、サソリくんの機嫌は悪かった。一目瞭然だ。当然といえば当然、これから暫く特等席で授業を受けることになって喜ぶ人間なんてわたしくらいなものなんだろう。声を掛け辛いオーラに圧倒され、わたしは口をつぐんだまま椅子を引いて座った。授業開始のチャイムが鳴る。













どうにもこうにも落ち着かない。席替えの直後の教室はいつも、どこか落ち着かない雰囲気がある。たかが席替えでこんなにそわそわするだなんてまるで小学生だ。そう思ったけれど、他でもないわたし自身が、おそらくこの教室内で一番そわそわしているのだと思う。なにせそわそわしている間に気がつけばもう二時間目の授業はほとんど終わりに差し掛かっていたからだ。
教科書とノートを机の上に広げたまま、ちっとも授業に身が入らずそわそわする。今までずっと握り締めていたらしい18番の小さな紙を、丁寧に折りたたんで財布の中に入れてみる。もちろんバッチリと先生に目撃され、「、授業に集中しろ」と怒られてしまう。先生、出来ることならわたしだって授業に集中したいんです。



そわそわする。右半身がむずむずする。 チラと右隣に目をやれば、一際目立つ真っ赤な髪がゆらゆらと揺れている。風で揺れているのではなく、彼が船をこいでいるからだ。こんな場所で堂々と寝れるだなんて、と一瞬感心してから、先生の様子を伺う。気にしているようだったけれどわたしに対するように怒ったりはしなかった。確かに船をこぐのと堂々と財布を弄っているのとでは、明らかにわたしの方がダメな生徒だ。寝顔が見れないものかと姿勢を低くして頑張って見たけれど、その真っ赤な髪に邪魔をされ結局見ることはできなかった。



高校での隣りの席って、こんなに近いものだっただろうか。ふと、中学の時、少し気になっていたクラスメイトの男の子が、たまたま隣の席になったことを思い出した。わたしの中学は隣同士の机がぴったりくっついていて、右利きの人と左利きの人が隣りになったら肘が触れ合ってしまうくらい、近かった。あのときもドキドキしたと思う。よく覚えてはいない。近かったなあとは思うけど、確かに今と比べれば限りなく近い距離だったけど、今ほど緊張しただろうか。よく覚えてはいない。もう何年も前の話だ。


・・・・あ、そうだ、財布。財布を仕舞わないと。


未だにこちらをチラチラ気にしている先生に愛想笑いを浮かべながら財布をカバンの中に仕舞おうと多少挙動不審になっていると、


「あ」


手がぶつかって筆箱をうっかり落としてしまった。ガシャーンガシャンカンカララン。運悪く今日はたまたま缶の筆箱だったのを忘れていた。盛大な音がシンと静まり返った教室に響く。どうやら神様がわたしに微笑んでくれたのはさっきの一度きりだったらしい。それ以外はやっぱり不幸続きだ。今日のわたしはどこまでも不幸だ。先生はいい加減にしろとでも言いたそうな目でわたしを見下ろしている。先生、出来ることならわたしだって筆箱なんか落とさず授業に集中したいんです。


慌てて椅子から降りてしゃがみ込みペンを拾っていく。たくさんの視線がこちらに注がれているのがわかって、遠くのほうで微かにデイダラの笑い声が聞こえて、無性に恥ずかしかった。ガチャガチャと乱暴にペンを筆箱に突っ込んでいると、ふと視界に見知らぬ手が映し出される。細長くて、骨ばっていて、それでも女の子みたいに華奢な手だ。その手には一本のボールペンが握られていた。普段はあまり使わないピンク色のボールペン。半年ぐらい前に、もしかしたらノートを取るときに必要かもしれないと思いつき買ったものの、オレンジ色のペンに出番を乗っ取られっぱなしで未だに片手で数えるくらいしか使ったことの無かった、半ば存在を忘れ去られていたかわいそうなボールペンだった。


「あ、ありがとう」


どうやら転がってきたペンを拾ってくれたらしい手の主にお礼を言いながら顔を上げる。パチリと目が合う。

赤銅色の瞳がそこにはあった。真っ赤な髪よりも幾分か色素の薄い、赤銅色の瞳。その二つの瞳がわたしに向けられている。


「・・・サ、サソ、サソ・・くん」



・・・どうしよう。心臓が止まりそうだ。いや、きっと、止まったんだと思う。だってそうでもなければ、どうしてこんなに顔中に血液が集まってくるのだろう。


「あ、ありがとう、サソリくん」


精一杯の笑顔を作ってお礼を言う。もしかしたら引きつっているかもしれない。中学生だってもっとマシな笑顔が出来ただろう。中学生だってこんなに緊張したりしないだろう。そんなことを考えながらもサソリくんの瞳から目が離せない。



普段からとろんとしているサソリくんのまぶたは寝起きのため更にとろんとしていた。声を発するのも億劫なのかただ単にわたしと話したくないからか、彼は何も言わないままわたしの手にペンを押し付けると、椅子に座りなおし、今度は机に突っ伏して寝始める。
今日は一時間目から寝ていたらしいから(そのお陰で彼はわたしにとっての”特等席”に案内されたわけだけど)よっぽど昨日夜更かしをしてしまったんだろう。ゲームでもしていたのだろうか。RPGを夢中でやりながらテレビの前で「よっしゃー魔王を倒したぜ!」とはしゃいでいるサソリくんをなんとなく想像してみて、それはありえないと思いつつにやけてしまった。もし本当にそうなら、全ての原因になった魔王には感謝しなければならない。彼のお陰でわたしはサソリくんの隣りの席になれて、ペンも拾ってもらえて、あんなに綺麗な顔を間近で見ることが出来た。なんだ、案外今日はついてる。とんでもなくついてる日だ。魔王ありがとう!




そんなにやついた顔をクラスメイトに見られないように慌ててわたしも椅子に座りなおす。するとそれと同時に授業終了のチャイムが鳴り、先生は静かにため息を吐いた。ふいに緊張の糸が解けたわたしも机に突っ伏してため息を吐く。心臓がやけにドキドキしているのは、朝あんなに走ったせいだろうか、魔王に興奮しているからだろうか、それともさっき見たサソリくんの瞳が、忘れられないからだろうか。


「おう、筆箱壊れなかったか?うん?」


サソリくんの席に遊びに来たらしいデイダラは、わたしの姿を見るなり笑いを含んだ声でそう言葉を掛けたけれど、わたしは両手で顔を覆って机に額を押し付けるのに忙しかった。何故だか分からないけれど恥ずかしい。今更になって、筆箱をあんなに大きい音を立てて落としてしまったことやペンをサソリくんに拾わせてしまったことが恥ずかしくて仕方が無い。


目だけ右隣に寄越せば、デイダラが怪訝そうな顔でわたしを見下ろしていて、そうしてその向こう側ではやっぱり眠そうなサソリくんがこちらを見ていた。あの綺麗な、赤銅色の瞳で。
その瞳を見て思い出す。そういえばわたしがサソリくんを初めて知ったのは、登校中、やっぱり今朝のように必死になって下り坂を走っている途中、転びそうになって目の前にいたサソリくんに思い切りぶつかってしまったあの時だった。




少女漫画の王道。学校中が憧れる人との恋、登校中道でぶつかり一目惚れ。普段普通に見える子が笑うと思いがけずかわいく見えてしまったり、片思いの相手がペンを拾ってくれたり、大好きな人と隣りの席になれたり。残念ながらそのどれも日常的に転がっているものではない。・・・はずだった。けれど。



もしかしたらわたしにも、右手に固く握り締められたボールペンのピンク色のような、まるで少女漫画のような恋が出来るのだろうか。そんな淡い想いをサソリくん相手に一瞬でも抱いてしまう辺り、おそらくわたしは少女漫画の読みすぎなのだと思う。


けれど、これからこの席で過ごすであろう毎日が、どうにもこうにも楽しみで仕方が無い。















#02 ボールペン、赤銅色、魔王



とりあえず、4時間目の体育だけが憂鬱だ。