わたしの視界にはぼんやりとした黄色だけが広がっていて、柔らかいそれがわたしの頬に触れるたびにサソリくんの笑顔と、そのときの言葉がよみがえる。なんてわたしは幸せなんだろう。そっと目を閉じて赤とピンクがふわふわと舞うその世界をわたしは飛び跳ねるように歩くのだけれど、わたしの身体が上下に揺さぶられるたびに赤とピンクは次第にその色を失っていく。「着いたぞ、保健室」条件反射に開いた瞼の向こうに広がる現実の世界は黄色の中にぽつりと青、それだけの色でできていた。






































「誰もいないみたいだな・・・うん」


わたしの身体を背負ったままデイダラは保健室の中をキョロキョロと見まわし、独り言のように呟く。保健室は校舎内と外からと、どちらからも入れるようになっていて、ガラス戸になっている外からの入り口は開け放されたままだった。先生はどこへ行ったのだろう。デイダラの背中越しにわたしも保健室の中を覗いてみるのだけれど、三つあるベッドのどれにも生徒は休んでいないようだった。
グラウンドからここ、保健室の前までどのくらいの距離があるだろう。おそらく校庭一周分もないのだけれど、それでもわたしを背中に乗せて止まることなく走ってきたくせに息切れひとつさえデイダラはしていないようで、その代わりにデイダラの背中にしがみついていただけのわたしが何故か必死で呼吸を整えている。予想していなかったデイダラの行動に心臓が追い付かなかったのと、やっぱり視界がぼやけているせいで脳みそがおかしな働きを見せているからかもしれない。「ま、いいか」そう言ってデイダラはわたしを背負ったまま器用に足だけでスニーカーを脱ぎ捨て、どかどかと保健室の中へと進んでいく。


「・・・どーすっかな」
「あ、あの、デイダラ・・・」
「・・・うん?」
「もう大丈夫だから!・・・降ろして?」
「おう、そうだった。忘れてた」


そう言ってデイダラはベッドの前まで真っ直ぐに進み、くるりと身体を回したかと思えば前触れもなくひょい、とわたしを宙に投げ出した。保健室の床よりも先にベッドがあるから良かったものの、ハードルと同じくむげに扱われているような気がして優しいんだかなんだかよくわからない。それでも嫌な顔一つせずに保健室まで文字通り、わたしの身体を運んでくれたデイダラはこんなに優しかったんだっけ?と、普段のデイダラの言動から考えるとなんだかとても不思議な気持ちだ。
コンタクトを落としてしまったせいか、視覚の機能が著しく低下してしまった代わりに頭の働きがずいぶんと活発になっているような気がする。サソリくんの言葉や、目に見えないオーラの感覚を思い出してみたり、デイダラがいつからこんな風にわたしに優しくしてくれるようになったのか、声に出すには気が引けるような考えばかりがわたしの頭の中をめまぐるしく巡り巡っている。


「あの、デイダラ、ありがとう」
「おう」
「あと、ごめんね」
「・・・うん?何を謝ってんだ?」
「その・・・重いのに」


デイダラの肩に手を置いたときから、きっと後で「重かった」とかなんとか言われるだろうと思っていたのに。「そんなこと気にしてたのかよ。うん?」デイダラの反応がわたしの予想とは全く外れていて、だからこそ余計にそう口にしたことが気恥ずかしくてなんとなく視線を逸らしてしまう。逸らしたついでに、砂で保健室の床を汚してしまわないよう慎重にクツを脱ぎ、揃えた膝の前でぎゅっとそのかかとを握る。「だって・・・」するとデイダラの手がひょい、とわたしのクツを奪い、ガラス戸の前にぽん、と置いた。本当に大雑把だ。


「つうか体重よりも貧乳の方を気にした方がいいんじゃねーのか?クク・・・」
「・・・な、」
「否定しねーっつうことは自覚してんのか?うん?」
「・・・デイダラのばか」


さっきとは全く別、というよりも正反対の理由でわたしはデイダラから視線を逸らし、さっきまでわたしの頭の中にぷかぷかと漂っていた、デイダラはこんなに優しかったんだっけ、という小さな疑問を力いっぱい沈めてやった。否定のしようもないことは認めるほかないのだけれど、だからこそ図星を衝かれてしまったような感じでなんだかとても悔しいのだ。


「冗談に決まってんだろ・・・うん」


保健室のベッドに腰かけたままのわたしの前に仁王立ちしたままデイダラが笑う。開け放されたままのガラス戸の向こうで風が吹き、デイダラの黄色い髪がふわふわとたなびく。動物の習性とでもいうのだろうか、動いているものをついつい目で追ってしまうのだ。けれどぴたりと風が止み、黄色いそれが動くのを止めたとき一番に目に着いたのはデイダラの青い瞳だった。その二つの青い点が真っ直ぐにわたしの顔を見おろしているから思わずその点をわたしは必死に見つめ返してしまうのだけれど、ふと気が付くとその点は初め見たときよりも幾分か大きくなっていた。


「・・・なぁ


突然改まったようにデイダラがわたしの名前を呼んだかと思うとずい、とまた一歩わたしの目に映る二つの青い点を大きくする。「ココんとこ、何か付いてるぞ」そう言いながらデイダラは自分の額の上のあたりを指差すので、「え?」なんだろう、と思いながら前髪の上を右手で探ってみるのだけれどなんだかよくわからない。ここでもやはりコンタクトを落としてしまったせいだろうか、なんて思ってしまうのだけれど、自分の頭に付いているものを鏡も頼らずに見ることなんてできるわけがなかったのだ。コンタクトを落としていてもいなくても関係ない。「オイラがとってやるからじっとしてろ」言われるままにわたしはぴたり、止まると再び青い点を目で追うことに必死になるのだけれど、だんだんと近づいてくるそれの周りがなんとなく赤みを帯びたように感じるのはわたしの目の錯覚だろうか。黄色と青、それと肌色だけだった世界に突然、薄紅色が浮かび上がる。


「・・・デイダラ、何か、近・・・」


い、と、いつのまにか二つの青い点が重なり二つではなくなっていて思わず首をすくめた瞬間、聞き覚えのある声と同時にデイダラの肩がびくりと跳ねる。


「・・・何してんだァ?てめーら」


すぐ目の前にあった青い点が一瞬にしてわたしの目の前から消え、声の持ち主にクルリと返った。


「なっ・・・なんでてめーが、」
「なんでって・・・一応これでも保健委員だからな。つうかてめーこそ早く戻った方がいーんじゃねーのかァ?体育委員のデイダラちゃんよォ!」


その喋り口を聞いてようやくその声の主の正体を確信した。飛段だ。本当はわたしと同じく特等席に招かれるはずだった飛段だ。けれどその招待券をまんまとサソリくんに譲ってしまった、わたしにとっては神様とも言っても過言じゃない飛段、だ。
保健委員だったのか、と心の奥底で噛み殺して、そういえばわたしが今保健室にいるのは一応、けがをしたから、なのだった。思い出した途端に右足の痛みがよみがえり、ぎゅっとジャージを握りしめる。血、なんて出てない・・・といいけれど、膝の上までジャージをめくってみないとわからない。


「・・・それもそうだな。・・・うん」


不本意ながらも納得したようにデイダラはそう呟くと、「ゆっくり休んでんだぞ、」そう言い残してデイダラはそそくさと保健室を出て行った。さっきの薄紅色はいったい、なんだったんだろう。






















「めんどくせーけど手当してやっからよ・・・怪我したところ見せてみろ」


そう言いながらごそごそと消毒液やらガーゼやらが置いてあるらしい棚を探っている。飛段は本当に保健委員なんだろうか。なかなか目的のものが見つからないのか、ビンの蓋を開けてはにおいを嗅ぎ、蓋を着せては棚に戻しを繰り返している。・・・大丈夫だろうか。見ているこっちが不安になってしまうのだけれど、ようやくお目当てのものを見つけたのか、飛段は嬉々とした表情で液体の染み込んだ小さなコットンをピンセットで挟み、わたしの前に掲げた。「さァ覚悟はいいか?始めるぜェ・・・」そう言ってにやりと笑うと、うっすらと赤いものが滲んだわたしの膝にそっとピンセットの先を押しつけた。


「いっ・・・」
「きもちイイだろ?」
「ぜ、ぜんぜ・・・い、いたっ痛い、しみる・・・!」
「んだてめー、その痛いのがいーんだろーがよォ」


飛段の眉と口先が歪んでいるのがぼやけていてもわかった。やっぱり飛段は変わっている。角都くんとはどう考えても気が合いそうにないのにどうして二人はいつも一緒にいるんだろう、と疑問さえ湧いてしまうほどに。


「も、もしかして結構擦り剥けてる・・・?」
「いやー大したことねェみてーだぜ。てめーで見てみろよ」
「あの、転んだ拍子にコンタクト、落しちゃって・・・」


よく、見えないの。あまりにも間抜けな自分が恥ずかしくて思わず尻すぼみになってしまった。「ハァ!?」驚いているのか呆れているのか、飛段は大きく口を開いて思う存分わたしのことをばかにしているみたいだった。何をしたってオーバーリアクションなのだ、飛段は。何をしたってノーリアクションな角都くんと分け合えばいいのに、といつも思う。


「あー・・・それでか」


急に思い立ったように飛段が、今度は静かに声を上げるので「・・・・・・なに、が?」ついついわたしもそれにつられてなんとなく小声になってしまう。消毒液が戦っているのか、じんじんと膝のあたりに鈍い痛みが走っている。痛みをこらえるのに必死でジャージの裾を握っているわたしとは裏腹に飛段は腕を組んでふんぞり返っている。神様でもないくせになんだか偉そうだ。


「サソリのヤロー、体育倉庫で何か探してるみてーだったからよ」
「・・・え?」
「オレが手伝ってやるっつってんのに何探してるか言わねーんだよなァ。つーかすげぇ睨まれたんだけどオレあいつに嫌われてんのか?マジ意味わかんねー」


そんなの、特等席への招待券をサソリくんに押し付けたからに決まってるじゃない、と思うと同時、そのことをまだサソリくんは気にしていたのか、と思うと想像もしていなかった可愛いサソリくんに思わず顔がにやけてしまう。そんなわたしのことなどお構いなしに飛段は自分の話に夢中で、だからこそわたしも彼などお構いなしに可愛いサソリくんの姿を想像しては顔の筋肉をだらしなく緩めてしまうのだ。















#07 舞う世界、赤


サソリくんは今ごろ、みんなの前であの準備運動をしているのだろうか。


「大体アイツ何様だって感じだぜ。いくらオレが保健委員だからってよォ・・・」
「サソリくんに何か言われたの?」
「保健室見て来いってよ。別にこんな手当なんざデイダラちゃんでもできるっつー話だぜまったく・・・」


赤とピンクで埋め尽くされた世界が今、わたしの目の前に広がっているような気がする。
その中心にいるのはもちろん、サソリくんだ。