「・・・もしかしててめー、サソリのやつに惚れてんのかァ?」


飛段が確信めいたような表情を浮かべ、にやにやといやらしい視線をわたしに注いでいる。ひた隠しにしていたわたしの気持ちが、よりにもよってまさかあの飛段に気付かれてしまっているだなんて、それってつまりクラス中に知られているってことなのかもしれない。
そういえば化学の時間に女の子たちのチリチリとした視線をずっと感じていた。まるで中学生みたいに隣同士、サソリくんと机をぴったりとくっつけていた、あのときだ。まさか、そのせいで?
ごくり、わたしは生唾を飲み込むと飛段の表情を窺うように覗きこむ。どこから沸いてくるのか、相変わらず自信に充ち溢れたその顔を見ているとどうやったって言い逃れることなんて、とてもじゃないけれどできないような気がするのだ。


「ハッ デイダラちゃんの節穴はごまかせてもオレ様のこの目はごまかせないぜぇ!なんつったってジャシン様が付いてんだからよォ!ジャシン様はなんでもお見通しなんだからなァ!ゲハハハハハァア!!」


ひどく耳障りな飛段の、あの独特の笑い声が何度も何度もわたしの鼓膜をどんどんと叩く。
どうしよう。そんな、どうしよう。だってわたしまだ、サソリくんに、


「ゲハッゲハッハハハハハハハハァァアアアアアア」


サソリくんにまだ、わたし、


「ピピッピピッピピピピピピピピピピピピピピピピ」


わたし・・・・・・・・あれ?


「ピピピピピピピピ・・・・・・」


飛段の笑い声じゃ、ない。



























夢、というものは、乱雑にまとめられた記憶をひとつひとつ頭の中の引き出しの中に整理整頓している最中に見ている映像だ、というようなことを何かで読んだことがある。その日に起こった出来事や、印象に残ったこと、目にしたもの、聞いたもの、感じたもの、そのすべてが混ざり合って夢という映像は作られるのかもしれない。


長い長い一日はどうやら昨日の23時59分を過ぎたころに終わっていたらしく、結局あのあとサソリくんにお礼を言うことはおろかその姿を見ることもなかった。まるですべてが夢の中の出来事だったんじゃないかって、夕暮れの帰り道のなか一人でいろんなことを考えたのだけれど、胸の前でそっと握りしめたルーズリーフがひらひらと風になびくたび、すべては紛れもなく現実の中で起こったことなのだと改めて思ったのだ。サソリくんと隣の席になったことも、サソリくんに化学の教科書を見せてもらったことも、サソリくんのお手伝いができたことも全部、夢なんかじゃなかった。
ルーズリーフに羅列されたサソリくんの几帳面な文字を思い出すとわたしの心臓はゆっくりと鼓動を始めるのだった。


「おう


通学の電車を降りてすぐに聞こえたその声に振り返ると、同じ電車に乗っていたのか、少し離れたところからデイダラが小走りで駆け寄ってきていた。息を切らすことなくわたしの隣に並んだかと思うと突然、デイダラはにやにやといやらしい笑みを浮かべてわたしの顔を覗き込む。


「今日は寝坊してねーんだな、うん」
「・・・してないよ」


思いっきりデイダラのことを睨んだというのに、何故かデイダラは楽しそうにニコニコとしているから不思議だ。へんなの。デイダラはよくサソリくんに怒られているから、もしかしたらこういうことには慣れているのかもしれない。サソリくん。・・・サソリくんと、今日はどんな会話ができるだろう。たったそれだけを考えるだけで顔に筋肉がずいぶんと力を緩めてしまっていけない。わたし、おかしな子みたいだ。


「そいや、今日の数学小テストだぞ」
「うん、そだね」
「・・・なんだ、随分と余裕ぶっこいてんじゃねーか。昨日5時間目サボったくせによ」
「あっ・・・あれは、サボったんじゃないもん・・・」
「あ、つかそーいえばコンタクト。見つかったのかよ?」


コンタクト、という言葉を聞いて思わずサソリくんのことを思い出してしまう。やっぱりわたしはおかしな子なのかも知れない。意識して顔に力を入れていないと頬の辺りが溶けてしまいそうな感覚に襲われる。「えと、これはあの、予備なの」溶け落ちる前に慌ててきゅっと頬に力を入れたことにどうやらデイダラは気づいていないみたいでほっと胸を撫で下ろす。


「ふーん。つうかやべーんじゃねーのか?うん?今日の小テスト昨日の5時間目の範囲だぜ?」


まるで他人事のようにデイダラは笑う。ニヤニヤと、本当にいやらしい笑みを浮かべている。もちろん、まさしく他人事なのだから仕方がない。デイダラにとってわたしは他人で、その他人が数学の小テストでどんなに困ろうが、どんな点数を取ろうが一切関係はないのだ。
だったら、どうしてサソリくんは。


「大丈夫だよ・・・ちゃんと勉強したもん」


サソリくんは、どうして。
あのとき、保健室でわたしの枕元に置かれていた数枚のルーズリーフは間違いなくサソリくんが取っておいてくれた数学のノートだ。教科書を読むだけでは事足らない部分のすべてがそこに書かれていた。見たことのない数式と小さな文字の羅列は紛れもない、サソリくんのやさしさだった。そのやさしさをどうしてサソリくんは、赤の他人であるわたしにくれたのだろう。どうして、わたしなんかに。


「勉強してきたのかよ。つまんねーやつだな・・・うん」


デイダラがそう呟いたところでいつの間にか教室が目の前にあって、開け放されたドアからは黒板の正面、特等席に一人腰かけているサソリくんの姿が見えてどきん、と心臓がやっぱりおかしな音で鳴る。


「じゃぁな。オイラ後ろのドアから入るから」


ぼうっとしたままでいるわたしに、オイラ誰かさんと違って一番後ろの席だから、なんて、言わなくてもいいことを残してデイダラは教室の中へ消えていった。












「お、おはよう、サソリくん・・・」
「・・・おう」


静かに椅子を引いて、サソリくんが座っている隣の席に腰掛ける。
ここにわたしが座ってもいいのだろうか。そんな疑問が一瞬頭の中を過るのだけれど、ここは間違いなくわたしの特等席で、机の中からは””と名前が書かれた化学の資料集が顔を覗かせていた。
朝教室へ来て初めに挨拶をした相手がサソリくんだなんて、こんなこと今まで想像だってしていなかったのに。なんだかくすぐったくて、新鮮で、不思議な気分だ。


「あのう、サソリくん」
「何だ」
「あの、その・・・昨日は、ありがとう」


本当は昨日のうちに言っておきたかったんだけど。小さく付け加えるとサソリくんはわけがわからない、というような表情でわたしの顔をまじまじと見つめる。きれいな赤銅色の中心に映った自分の顔はやっぱり赤くて、それがサソリくんの瞳を通してだからなのか、そうでなくてもなのかは考えてみるまでもない。


「・・・何のことだ」
「ええと、あの、い、いろいろと・・・」


ハードル手伝ってくれてありがとう、保健室に行けっていってくれてありがとう、コンタクトありがとう。いろんなありがとうを言いたかったはずなのに、いざサソリくんを目の前にするときちんと言葉ができてこない。サソリくんはやっぱり無表情のままわたしの顔をじっと見つめているだけだ。だから、なのかも知れない。


「それと、あの、数学のノート・・・ありがとう」


たったひとつ、いくらあっても足りない勇気を振り絞って口にした言葉は一瞬にしてサソリくんの耳に届いてしまう。「ああ・・・そのことか」ぽつり言葉を零したサソリくんは頬杖を付いてわたしの顔から視線を外した。


「・・・よくわかったな」
「え・・・?」
「アレが、オレのだって」
「え、そんなのわかるよ。だって・・・」


言い掛けて、慌てて口をつぐむ。サソリくんはわたしに横顔を向けたままで、視線だけがチラリ、わたしのことを窺っている。言い掛けた言葉を止めてしまったからか、サソリくんは訝しげな視線をわたしに注いでいる。
けれどその続きを口にすることなんてとてもじゃないけどできなくて、なぜなら”だって”の続きを口にしたら間違いなくわたしはサソリくんにおかしな子だと思われてしまう。そうに違いない。だって、だって。


「・・・だって?」
「あっ・・・ううん、別に、何でも・・・」


だって、サソリくんの字なんだから。
そう、口にしたら、サソリくんはどんな風にわたしのことを見るだろう。口に出す勇気もないくせに、それでもわたしはサソリくんの考えていることや感じたことのすべてを覗いてみたくて仕方がない。


だってもしもその光景の隅っこにでもわたしがいるなら、そんなに嬉しいことはない。
















#09 まほろばで見る景色



夢、というものは、乱雑にまとめられた記憶をひとつひとつ頭の中の引き出しの中に整理整頓している最中に見ている映像だ、というようなことを何かで読んだことがある。その日に起こった出来事や、印象に残ったこと、目にしたもの、聞いたもの、感じたもの、そのすべてが混ざり合って夢という映像は作られるのかもしれない。


だとすればたとえば、ある日に起こった出来事や、印象に残ったこと、目にしたもの、聞いたもの、感じたもの、そのすべてにサソリくんが関わっていたとしたら。


「フン・・・まぁいい」


サソリくんが笑うたび、サソリくんの声が聞こえるたび、わたしの中にはサソリくんの記憶が刻まれてゆく。わたしの頭の中のどの引き出しにもサソリくんとの記憶があったら、どんなに素敵なことだろう。


「どっちみち貸しイチだぜ?覚えとけ」


サソリくんとこんな風に会話ができるなんて本当に、夢みたいだ。
それなのに、夢じゃない。