デイダラは確か、数学が苦手だったと思う。大雑把で感覚的な人間だからたぶん、理数系の分野には向いていないのだ。特に数学の文章問題なんかは大の苦手なはずだ。一問一答形式の問題ならたとえわからなくても勘で解答を埋めることができるけど、文章問題の場合は途中の計算式もすべて書かなければいけなくて、勘でどうにかできるものではないからだ。というよりも基本的に細かい作業は苦手なんだと思う。実際、この前の体育の時間だってインターバルをなおざりにしてハードルを並べる、というよりも置いていた。
きっとデイダラのものさしに目盛なんてついていないんだと思う。あるとすれば、大きいか小さいか。楽しいかつまらないか。赤いか青いか。ハードルを置くか置かないか。それくらいだ。


デイダラという一人のクラスメイトのことをわたしはどのくらい知っているのか、こうして改めて考えてみると大したことは知らなくて、それよりもデイダラのことをクールで無口でかっこいい、だなんて密かに騒いでいる何人かの女の子たちの方がよっぽどデイダラのことを知っているのかもしれない。だってわたしはデイダラのどこをどう見たらクールで無口だなんて思えるのかわからないから。確かに顔は整っていてかっこいいかもしれないけれど、人のことよく馬鹿にするし、気が短いからすぐ怒るし。


詰まるところわたしはよくわからないのだ。どうしてサソリくんは、あんなことを言ったのだろう。
もしもサソリくんのあの言葉の意味をわたしが理解することができたのなら、また一歩サソリくんに近づくことができるのかもしれない。




















「やばい」


休み時間に入った途端、数学の教科書を机の中に仕舞うよりも先にデイダラが教壇の前、ちょうどサソリくんとわたしの席の間に現れると一言、そう口にした。


「え?どうしたの、デイダラ」


わたしは自分の座席に腰掛けたまま目を丸くしてデイダラのことを見上げる。珍しく浮かない顔をしているデイダラは眉間に皺を寄せてじっとわたしを見下ろしていた。サソリくんは顔色一つ変えず、デイダラを見上げることもなく頬杖をついてじっとしていた。


「・・・、おまえ何点だった?」
「何点って・・・小テストのこと?」
「・・・に決まってんだろ。・・・うん」


不機嫌なのか、めんどくさそうにデイダラは答えて小さくわたしを睨みつける。こういうところを見ているとやっぱりデイダラは気が短いなと改めて思う。怒られるようなことをわたしは言っていないのに、理不尽な話だ。普段ならデイダラにつられて不機嫌になってしまうところだけれど、今日は違う。


「えへへ、見て、これ!」


サソリくんによって採点された満点の数学の小テストを掲げるようにデイダラの目の前に差し出すと改めて幸せな気持ちでいっぱいになる。こんな風に数学の答案を誰かに見せるときがやってくるなんて考えてもみなかったし、何よりこんな点数が取れたのは他でもない、サソリくんのおかげなのだ。こんなに素敵な答案はめったにお目にかかれるものじゃない。
嬉しくて緩みっぱなしの表情になっているであろうわたしを睨むことも忘れてデイダラは大きな目をさらに大きく見開いてまじまじとわたしの答案を見つめる。


「・・・はァ!?なっ・・・んで、おま、いつもオイラとトントンだったじゃねーか!」
「だって、勉強したもん!」


得意気に答えるわたしが気に入らないのか、デイダラは不機嫌そうな表情に戻って思いっきりわたしのことを睨みつける。けれどデイダラのこの表情にももう慣れてしまったのか、正直怖いというよりもむしろ面白いとすら感じてしまう。


「・・・さては、旦那のテストカンニングしたんじゃねーのか?うん!?テスト始って早々なんか言われてたしよ」
「あ、あれはあの、ちょっとぼうっとしてただけで、別にサソリくんの答案を見てたわけじゃなくて、」
「大体あんなテスト、教科書見るだけじゃ満点なんて取れるワケねーだろ。昨日の5時間目んとこがピンポイントで出てたみてーだからよ・・・うん」


感覚的に生きてるだけあってデイダラは変なところで勘がいい。人を疑うような目つきでじぃっとわたしの顔を覗き込む。透き通るような青が真っ直ぐにわたしを映していた。
実際にわたしはカンニングなんてしていないし、先生に怒られたのだってサソリくんがスラスラと問題を解いているのがすごくて、ちょっとぼうっとしてしまっただけだ。けれどサソリくんを見ていたのは確かで、それを言い当てられたことについつい焦ってしまう。


「え!・・・ええっと、それは、あの、・・・サソリくんが」
「うるせーな」


サソリくんが、の続きを遮るように突然サソリくんの声がわたしとデイダラの間に割って入って、思わず口をつぐむ。
これまでサソリくんはじっと黙ったままでいたから必要以上に驚いてしまう。同時、その言葉がわたしに向けられていると思ってサソリくんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。けれどそれ以上に自分のこの口が憎たらしくなって、いっそこんな口なんてなくなってしまえばいいのに、と考えていると「デイダラ、てめーは授業中寝てるからそういうことになるんだろ」サソリくんがわたしではなくデイダラのことを睨むように見ているのに気が付いてほっと胸を撫で下ろす。


「・・・んなこと言ったって苦手なもんは仕方がねーだろ」


細かいこと考えんのは嫌いなんだ。関係あるようなないような言い訳を付け加えた後でデイダラはむくれっ面でサソリくんから目を逸らす。


デイダラを見ているとどうしてサソリくんがあんなことを言ったのか、あれがどういう意味だったのか、余計にわからなくなる。少しでもサソリくんの言葉を理解したいのに、少しでもサソリくんに近づきたいのに、やっぱりそう簡単にはいかないものだなぁと少しだけ哀しい気持ちになってしまう。
それでもこうしてサソリくんの隣でサソリくんとこの時間を過ごしていることはわたしにとっては奇跡みたいなもので、それ以上のことを望むのはよくばりというものだ。


「なぁサソリの旦那ァ、今度のでかいテストの前に数学教えてくれよ。このままじゃオイラ赤点取っちまいそうだ。・・・うん」


人にものを頼むような態度ではないけれど、それでもデイダラにしてはずいぶんと腰を低くしてサソリくんに頼み込む。やはり考えることは同じだ。数学が苦手な人なら誰だってサソリくんに数学を教えてもらいたくなる。それくらい、サソリくんはすごい。少し必死な顔になっているデイダラを見るとなんだか嬉しくなってしまう。すごいのはわたしじゃなくてサソリくんなのに、こうして頼られているサソリくんを目の当たりにすると自分のことのように嬉しく思ってしまうのだ。


「あ、あの、わたしもサソリくんに」
「誰がそんなことしてやるかよ、めんどくせぇ」


二度目、サソリくんは再びわたしの言葉を遮ってそれを口にした。サソリくんはそんなにせっかちな性格だったんだっけ、と思ったけれどそれよりもその言葉の内容が気に掛かる。
横目でサソリくんの様子を窺ってみても変わったところは何もない。ただ無表情のままデイダラのことを見ているだけだ。


「フン・・・てめぇでなんとかしろ」


そう言ってサソリくんは、いつものように笑うんだろう。そう、思っていたのに、どうしてだろう。ただ単にわたしの予想が甘かっただけなんだろうか。
デイダラによく見せているあの、少しバカにしたように笑うサソリくんの表情はどこにもなく、それどころか少し不機嫌そうに頬杖をつきながらデイダラを横目に見ているだけだった。わたしの気のせいなんだろうか。そんなことには気づく素振りもないデイダラはふくれっ面のままわたしの頭をぽんぽんと叩くと「・・・ま、よかいい点取ってやるよ」わたしの顔を覗き込んでにやり、得意げに笑って自分の席へと戻っていった。


「・・・あの、サソリくん」
「なんだよ」
「数学教えてくれるの、面倒だったら・・・」


小テストの後でサソリくんは、今度の大きいテストの前に数学を教えてくれると言った。はっきりとそう言ってくれたわけではないけれど、わたしの言葉に少なくとも肯定の意味の返事をしてくれたはずだ。だからこそさっき耳にしたサソリくんの言葉がやっぱり気になって、あの肯定の言葉を撤回されるのを覚悟でそれを口にした。
面倒だったら、の続きを、どんな言い方をすればいいか考えているわたしを待たずにサソリくんの唇がゆっくりと動く。


「面倒じゃねぇ」
「え・・・だって、さっきデイダラに」
「面倒じゃねぇっつってんだろ」


今日のサソリくんはなんだかとてもせっかちだ。わたしが最後まで言葉を言い終えるのをちっとも待ってはくれない。


「でも・・・」


案外サソリくんはこういう性格なのかも知れない。意外なサソリくんの一面を見ることができたような気がして、心臓がドキドキと嬉しそうに飛び跳ねているのがわかった。


「クク・・・それともお前、一人で大丈夫だっつってんのか?」


ああ、この顔だ。
サソリくんはさっきデイダラに見せなかった顔をわたしに見せてくれると、どこか楽しそうに小さく笑った。
嬉しくて、ドキドキして、幸せで、ただただ首を横に大きく振って返事をするわたしを無表情に眺めた後でもう一度、笑う。こんなサソリくんの表情、これまでにわたしは見たことがなかった。おそらく、デイダラだって見たことないないんだと思う。なんとなくだけれど、それは確信めいていた。サソリくんでもこんな風に笑うんだ、と思ってしまうくらい無邪気で、屈託のない笑顔のサソリくんは。
















#11 エンドルフィン・プール



キーンコーンカーンコーン
授業開始のチャイムが鳴る。次はなんの授業だっただろう。早く数学の教科書を仕舞って、次の授業の教科書とノートの準備をしなきゃと思うのに、机の中を探ることはおろか時間割を思い出そうとすることにさえ頭が回らない。
次の授業なんてもう、何だって良いのだ。


サソリくんの隣にいられるのなら。