期せずして、サソリくんと一緒にいるための口実だけであった数学のテストは、デイダラとの勝負のようなものになってしまった。
直接対決、という単語がポンと出てきて、何だかおかしくなってしまう。わたしもデイダラも、生憎そんな大層な言葉を使えるほどの頭ではない。直接対決、というよりは、本当にただの勝負。子どものかけっこのようなものだ。
それにしてもデイダラはどうしていつも、ああいうことを仕掛けてくるのだろう。とぼんやり思って、わたしはとりあえず問3の問題を考えることを後回しにしていた。


「わからねぇなら一人で考える前にさっさと言え」


教科書を見つめたままぼんやりしていると、コン、と視界に見慣れたシャーペンが入り込み、わたしの思考を中断させる。あ、しまった、そう思って顔をあげれば、少し不機嫌そうなサソリくんが、じいとわたしの顔を見ていた。いつもと違い真正面から見るサソリくんは相変わらずかっこよくて、顔が赤くなってしまったのを悟られないよう「ご、ごめんなさい」教科書に集中するふりをする。わたしは行動がワンパターンだ。さっきも何度か、これと同じことをした。


図書室に置かれた長い机の一番端、窓側の席。向かい合うようにわたしとサソリくんは陣取った。テスト前だというのに生徒の数はまばらで、図書室独特の静かな喋り辛い空気がわたしとサソリくんを取り囲んでいる。
わたしがひたすら教科書の問題を解いて、分からなかったらサソリくんに聞いて教えてもらう。そんなことを繰り返して暫く経ったけれど、どうにもこうにもデイダラのことが心配になってしまい、ついつい手が止まってしまう。今はそれの何度目かだった。


「ええと、問3の、」


どこが分かっていないのかも分からない。まだ取り組もうとすらしていなかった問3の問題を必死で見つめていると、その文字の上に綺麗な手が覆いかぶさった。ギョッとして、顔を上げる。サソリくんは頬杖をつき眉を寄せ目を細め、やっぱりじいとわたしの顔を見ている。


「あの・・・サソリくん?」
「じゃなくてだ」
「え?」
「考え事だろ。わからねぇなら一人で考える前にさっさと言え」


サソリくんは本当に、読心術か何かを身につけているのではないだろうか。好きな人に自分の考えていることを気付いてもらえる、その嬉しさに今更飛び上がりそうになり、思わず頬を緩めてしまった。けれどデイダラのことを考えると、やっぱりちょっとそれが曇る。


「・・・デイダラ、一人で勉強するつもりなのかな」
「何だデイダラの話か」


サソリくんはつまらなさそうに紙パックのカフェオレのストローに口をつける。勉強を教えてもらうお礼としてさっきわたしが買って来たものだ。図書室は飲食禁止だけれど、ここは丁度カウンターから死角になっていて、それを知ったサソリくんはさっきから当然のように飲んでいる。サソリくんは真面目だけれど、変なところで真面目じゃない。サソリくんがストローに口をつけるたびに、わたしはドキドキする。


「そりゃ一人でするんだろ。あいつがオレ以外にあたるところがあるとは思えねぇ」


すごい自信だ。それだけデイダラのことをよく知っているのか、今まで何度もデイダラに助けを求められてきたのか、よく分からないけれど、思わずほおおと感心してしまった。サソリくんのこういうきっぱりしたところが、わたしは好きだ。


「で、他には?」
「え、ええと・・・デイダラに約束、されたの」
「約束?」
「お前はオレに負けたら何でも言うこと一つ聞くんだぞ。うん・・・って」
「なるほどあいつらしいな」


いよいよサソリくんは眉を顰めて機嫌悪そうにひとつ舌打ちをした。「めんどくせぇことを」低い声でそう言って、問3の問題を睨んだ。


「どうしてデイダラはいつも、ああいうことを仕掛けてくるのかなあって・・・考えてた」
「どうしてって、そりゃあ・・・」


サソリくんは問3から視線を上げてわたしの目を見る。パチリ視線があって、わたしの心臓が勝手に跳ねる。綺麗な赤銅色の瞳。もう何度も見たけれど、相変わらず慣れそうにない。


「・・・それがあいつの性分だからだろ」


まさかその一言で片付くとは思っていなかったので、わたしは頭からスコンと何かが抜け落ちるような気分になった。ずっと分からなかった問題が、案外簡単な公式でするする解けてしまったときの、あの感覚に似ている。


「サソリくんはすごい」


抜け落ちた頭で何も考えないまま言えば、サソリくんは少しだけ複雑そうな表情を見せた。


「デイダラのことはもういいだろ。問3」
「あ、うん!」






















「デイダラさん何してるですか?アッもしかして勉強ですか?ええーでもなあ、まさかデイダラさんに限って勉強だなんて・・・もしかして頭良くなりたいんですかデイダラさん?知識人にオイラはなる!みたいな?えー今更それって無理ですよデイダラさんじゃあ、アハハ」


翌日、教室に入るなり聞き覚えのある男の子の声が聞こえた。首を捻って後ろを見れば、頭をガリガリかきながら机に向かっているデイダラと、その後ろをひっきりなしに喋り続けながらひょこひょこ手元を見ては笑っているトビくんがいた。


今日は結構早くに来たのに、デイダラがそんなわたしよりも前に来ている。まだ人もまばらで、そんな教室にトビくんの声はよく響いた。まだサソリくんも来ていない。
思わずカバンを持ったままその騒がしい机へ近づく。


「あっセンパイ!おはようございまーす」
「おはようトビくん」
「んだよか、何の用だよ・・・うん」
「な・・・何の用って・・・特に」


顔を上げないまま言うデイダラの機嫌があまりにも悪かったので驚いた。大きな目の下にはくまが出来ていて、今朝だけでなんどもかいたのだろう髪の毛はボサボサだった。


「デイダラ・・・もしかして寝てない・・の?」
「だったら何だっつんだ、オイラはやると言ったらやるからな」


テストまでまだ数日はあるというのに、毎日これを続けるつもりなら確実に体を壊す。本気でイタチくんにはお願いしないつもりらしい。それほどまでに嫌いなのか、彼なりのプライドなのか。恐らくは両者ともなのだろうけれど。チラとトビくんを見上げれば、彼はもう黙っているつもりなのか、両手で口のあたりを覆って首を小さく左右に揺らした。わたしが来るまでに散々からかい倒したトビくんは、どうやらもう満足なようだ。


ふと何となくデイダラのノートに視線を移して、あれ、と思う。これは丁度昨日わたしがサソリくんに教えてもらったところだ。そしてわたしが躓いたところで、デイダラも同じように躓いている。あまりの偶然っぷりに少し笑いそうになったけれど、それを堪えて「デイダラ」呼びかけた。彼には全くもって笑いごとじゃないからだ。


「この問題の公式、こっちじゃなくてこっち使うと分かりやすいんだって」


説明すれば、デイダラはギョッとした顔でわたしを見上げる。改めて真正面から見ると、今日のデイダラは本当にひどい顔をしている。よくたった一晩の徹夜でここまでナーバスになれるものだ。普段よっぽど勉強していなかったんだろうな、思い、わたしも結局同じだと少し悲しくなってくる。もしかしたらこれはわたしだったかもしれないのだ。


「・・・教えちまっていいのかよ?オイラはの敵だぞ、うん」
「だって・・・敵も味方もないよ。デイダラ困ってるのに」


そしてわたしはそのやりかたを知っていたのに、教えない方がおかしい。デイダラはパチパチと瞬きを繰り返して、それから再びガシガシと頭を盛大にかきまわした。


「だーからはダメなんだ・・・うん」
「だ、だめって・・・!」
「・・・あんがとな」
















#18 神はさじも投げない



「ど・・・どういたしまして」


とても久しぶりに、デイダラのありがとうを聞いた。誰かに感謝されることは嬉しい。すごく、すごくだ。わたしの感謝の気持ちも、サソリくんに伝わっていればいいのに。


とにかくトビくんが飛び上がって喜んでいたのが視界にうつったから、デイダラはあと少ししたら今の言葉を心の底から後悔するのだろうと・・・思う。
デイダラも、素直にイタチくんに頼めばこんなに大変な思いをしなくても大丈夫だろうに。


「デイダラさんもありがとうとか言えるんですね、いやボク知らなかったなあ、」


案の定トビくんのご高説が始まり、わたしは少しだけ笑う。
笑ってから、ふと気付く。・・・そういえばテストのことで頭がいっぱいになって、日誌を提出していない。